北の海で採れる昆布がなぜ沖縄で食されているのか

沖縄の郷土料理の一つに、「クーブイリチー」というものがある。
昆布の細切りと豚肉などを炒め煮にしたもので、沖縄では非常にポピュラーなものだ。
沖縄の人が昆布好きというのはよく知られているが、これを聞くと多くの人は、「沖縄は四方を海に囲まれた県だから、昆布がとても身近な食材なのだろう」と思うようだ。

しかし、これは大きな間違いである。

実は、日本で昆布が採れるのは三陸海岸より北の地方、しかもほとんどが北海道産なのである。
地理的に言って、東北や関東ならともかく、沖縄の人がこれほど昆布に親しんでいるのは不思議な現象なのである。

また、もう一つ興味深い事実があって、現在、日本で最も昆布を消費する都道府県は富山県である。
(数年前までは沖縄)

なぜ北の海でしか採れない昆布を、日本の最南端の沖縄や北陸の富山でこれほど消費しているのだろうか。
その秘密を解き明かす鍵が、「昆布ロード」と呼ばれる昆布の流通経路にある。

昆布ロード トップへ戻る

昆布はいつごろから食べられていたのか

日本人は昆布をいつごろから食べていたのだろうか。
一説では縄文時代から食されていたというが、四方を海で囲まれていることを考えれば不自然なことではない。

しかし、当時の食生活は木の実や獣肉、魚介類が中心であって、また当時これらの食材はかなり豊富にあったと推定されており、海藻類はほんの補助食品だったと考えられる。
歴史上、昆布に関する最も古い文献記録は『続日本紀』であり、715年、蝦夷(えぞ)の酋長は朝廷に対し、「先祖代々、夷布(えびすめ=昆布)を献上し続けている」とある。
当時の昆布は、まだ日本の一部になったばかりの蝦夷地から、わざわざ朝廷まで運ばれた貴重品だったのである。

平安時代に入り、昆布は貴族の宴席に欠かせない品となっていったが、室町時代にはその流通がさらに活発になっていった。
徐々に日本海側の航路が整備されていく中、蝦夷から福井県の小浜に入り、そこから山を越え、琵琶湖をわたって京都に入るようになった。これによって北海道と北陸を結ぶルートがまず確立された。

昆布ロード トップへ戻る

昆布はどのように流通していったのか

江戸時代に入り、河村瑞賢(ずいけん)によって西廻り航路が開かれると、昆布流通はさらに加速した。
福井県の敦賀を経由してさらに日本海を進み、下関をまわって大阪に入るルートができた。
これによって、京都を経由せず堺などの港に直接昆布が入るようになり、関西一円に流通するようになった。

さて、江戸時代に入り蝦夷は松前藩となっていたが、西廻り航路が発展し、北前船によって松前からの海産物が全国へますます流通するようになった。
その交易において大いに活躍したのが、近江商人と富山の薬商であった。室町時代、京都への中継点であった近江の商人たちは、持ち前の行動力によって大阪ルートの物流の中心を担った。

一方、薬という特殊な品を商うため、例外的に全国を自由に行動することを許されていた富山の薬商は、九州へも進出していった。その富山商人に目を付けたのが薩摩藩だった。

昆布ロード トップへ戻る

▲ページの先頭へ戻る